2012年11月4日日曜日

Nissan GT-R Le Mans 1995 No.22 "Keep the dream alive"

1995年 ル・マンで10位完走のNo.22"Keep The Dream Alive"号、ドライバーは福山 秀夫氏/近藤 真彦氏/粕屋 俊二氏。タミヤからはエースのNo.23号車がリリースされてましたが、これはそのキットをベースにTABUデザインのデカールとStudio27のエッチングパーツ、そして色んな所からのディティールアップパーツや自作パーツを奢って作成しました。

Tamiya 1:24 R33 GT-R 1995 LeMans No.22

Tamiya 1:24 R33 GT-R 1995 LeMans No.22

Tamiya 1:24 R33 GT-R 1995 LeMans No.22

Tamiya 1:24 R33 GT-R 1995 LeMans No.22

Tamiya 1:24 R33 GT-R 1995 LeMans No.22

Tamiya 1:24 R33 GT-R 1995 LeMans No.22

Tamiya 1:24 R33 GT-R 1995 LeMans No.22

Tamiya 1:24 R33 GT-R 1995 LeMans No.22


製作者のコメント「タミヤはやっぱりイイッ!!」


コイツの完成後、来たるべきJMCでのモデラーズクラブ展示に向けて、ハセガワのキットを仕上げようと思ったが、時間的に間に合いそうもない。で、あれば昨年展示棚から落下して小破損したハセの250TRをレストアがてらリペイントしてやろう、と考えてボディの塗装を落とすべくシンナー風呂に入れたのですが、入ったその湯はラッカー薄め液ではなくツールクリーナーであった為、塗膜が落ちただけでなくプラの表面がぐちゃぐちゃのケロイド状態となってしまい、敢無くリストアとJMCへのハセキット新作展示を断念する結果となったのでありました、ちゃんちゃん。

では知性の欠片も無いこのブログはまた次作の完成後にお会いしましょう。
んでは。

2012年9月9日日曜日

NISSAN MID4 IMSA (1985 Tokyo Salon)No.2 完成

 先日の金曜日、BM関東支部のメンバーにて、「まあ、兎に角オメデトウ」会なるものを開いておりました。その席中、MID4が既に完成している事をメンバーに報告したのですが、早くブログにアップするように、と促すメンバーに対して俺、
 「ふん!ブログ書き上げなんて面倒くさくてやってられるかよっ!!完成報告なら他のSNSでもう済ませてるワッ!!」
と、酒の勢いもあり吐き捨てるように言い返した所、BMの弘法ことT大師が、いきなり有無も言わさず俺の顔面を強烈に殴りつけた。
椅子もろとも吹っ飛ぶ俺、鼻からタレ落ちる血の理由は決して中華料理のニンニクと赤唐辛子の食べ過ぎのせいではない事は明らかだ。左手の甲で血を拭いながら俺は、
 「な、何をするんだっ!!!」
するとT大師は俺の目の前にすっくと立ち、俺を目を鬼の形相で睨みながら、こう言った。
 「馬鹿野郎!!俺たちはブログモデラーズじゃないかっ!!ブログモデラーがブログで完成品を報告しないでどうするんだ!!」
 俺は稲妻が走るような衝撃を受けた。そうだ、俺はブログモデラーなんだ、俺は俺の仲間達と共にブログの場で模型に掛ける熱い情熱をぶつけ合う事で切磋琢磨してきたんじゃないか!それを・・・俺は・・・俺は・・・・・
 「お・・・・俺が間違っていた・・・すまない・・・・・・」
俺の顔から滴り落ちるのは鼻血ではない、己の愚かさを嘲笑う赤い涙だ。そんな俺の姿を見てD師匠が語りかける。
 「大丈夫だ、お前のブログのトップページにはまだ広告が出ていないじゃないか。十分間に合うよ。さあ、顔を上げてブログを書くんだ。」
そう言ってD師匠は俺を傍に膝を降ろし、俺の肩に手を置く。
すると、T大師も俺の肩に手を置いた。H兄も、C教授もS車掌も皆俺を囲んでいる。
俺は涙でこぼれる顔を上げ、皆に言った。
 「俺には仲間がいるんだ・・・ ああ、涙よ・・・さっきまでの愚かな俺を洗い流してくれ・・・!この涙で洗われて俺は新しく生まれ変わるんだ・・・・!!」
 俺達は皆泣いていた。ふと、涙を流したまま俺達は振り返った。
そこには〆の刀削麺を運んで来たマスターも涙を流したまま立っていたのだった。
 
Nissan MID4 1985 IMSA specification

Nissan MID4 1985 IMSA specification

Nissan MID4 1985 IMSA specification

Nissan MID4 1985 IMSA specification

Nissan MID4 1985 IMSA specification

Nissan MID4 1985 IMSA specification




次はタミヤのR33GTR 1995ル・マン No.22 !
トリコロールが続くぜい。
#ムスタングコンセプトとか、ミニとか、JMC対応ハセガワキットとか、はその次だな

2012年6月27日水曜日

NISSAN MID4 IMSA (1985 Tokyo Salon)No.1 TRICOLOR IS ALL IN

沼津被害の処理も一段落したし、じゃあジドーシャモケイを再開すんべー、
という事で、これを始めます。


フジミのニッサンMID4 1985東京モーターショー発表の第一世代です。
数週間前にカーマガジンの7月号(409号)を立ち読みしていたら、ミッドシップ車の特集で、懐かしやトヨタのMR2(AW11)と共にニッサンのMID4 第一世代とMID4-Ⅱの紹介記事がありました。その記事で自分の目を釘付けにしたのが、MID4 第一世代のレース仕様のショーカー、MID4-IMSA
ニッサン伝統のトリコロールカラーに彩られ、迫力あるエクステリアに飾られたボディは最高にかっちょイイ!!
ニッサン、トリコロール、MID4、このイケイケ気分は、もうストレートにキットにぶつけるしかない!という事でオリジナルのMID4をIMSA仕様への改造製作、早速始める事としました。



え?マスタング・コンセプト2?
えーと、ですね・・・・
どうもボンネットフード・ヒンジに対して、実際の出来を遥かに越えるお褒めの言葉を多数頂いたものの、現物はヒジョーに小汚い仕上りとなっている事、しかもコイツはボンネットを開けたならば、相当に目立つ場所に在る事より、「ちょっと、このままじゃあとても人様の眼前には出せませぬ、むむむむ・・・」という事で、改めて作り直す事に決めたのですよ。
とは、言うものの、あれ結構作るのに根気と時間を要するし、折角の車模型再開にも関らず、やっているのは細かい部分の金属加工の日々、というのはチョットいやだぞ、っつー事で、ここは先ず、盛り上がった自分のハートに忠実に事を進めましょう、という次第でありまんで、チョット待ってね。
それにしても「事」を多用し過ぎだな、自分の文章。

先ずは仮組でプロポーションやら車高やらをチェック。

ホイールは、IMSA仕様を真似てフジミの17"BBSホイール装喚。

IMSA仕様改造に向けての問題は、リアからの写真が全く見つからない事。仕方無いので、そこは全体のバランスを見ながら想像で進める事とします。
ですので進め方としてはフロントとサイドの加工を行い、最後にリアに手を付ける事とします。
まずはエクステリアの空力パーツをプラ板で外枠作り。

オーバーフェンダーのはみ出しは、フロント2mm、リア3mmとしました。
資料写真を見ながらの完全な目分量でございます。

サイドステップ部分にエポパテを貼って肉埋めとして、その上からプラ板を貼り、面の粗出しとします。

リアオバフェン、膨らみの始点からホイールアーチまでの間に細切りのプラ板を貼り、アウトライン兼、骨組みとします。
ついでにリアのエアダクト周りも資料写真を見ながらプレスラインに沿ってプラ板で骨組み作り。
ちなみに上記の方法は、D師匠のマクラレーン・マスタング オバフェン改造方法に倣っています。 

プラ板の接着剤が乾いたら、合間にポリパテを埋め込み、乾燥待ち。
ポリパテが乾いたら、サイドステップからリアフェンダー下部周りのライン出しを追い込みます。

こりゃ結構時間掛かるかも。
かっちょイイの作るぜぃ〜〜〜(既にオワッているかも)


では。

2012年6月20日水曜日

Ilyushin Il-2 No.3 塗装と完成

では、いよいよ塗装工程に入ります。

 え〜〜と・・・・・・・

飛行機って、どうやって塗装すればいいんですか?
(ただし旅客機は除く)

車と同じような、一面一様ムラ無し塗装仕上げなら何度か実践経験はありますが、陰影感を表す塗装手法というのはやった事がありませんので、手順や加減というものがイマイチわかっておりません。
そういう時はネットでチェック。飛行機な方々のHow toサイトやブログを巡回。
更には、外出時には本屋で模型雑誌の飛行機コーナーを立ち読み(スマン)。
トドメに「プラモ作ろうNo2」のDVDを観たりもしたぞ。
こうして把握した手法や手順を電車の中で黙々と脳内整理組立てして、シュミレーションし、イザ、工房にて実践開始!


やはり飛行機なら繊細なモールドを活かすべく、塗装は極力薄く仕上げた方が良い、と思ったのですが、プラに直接塗装するのは塗料の食い付き面で不安もあります。ですので、ここはガイアのグレーサフにガイアのオリーブグリーンを3〜4割程混ぜて、サフと露助緑の下地色を兼ねさせる事で塗り重ねの工程を一つ飛ばす事としました。

ここで学習の成果を発揮すべく、パネルラインに沿ってガイアのダークグリーンで影を付けました。
しかし、この影付け塗装ですが、どこまで細部に渡って付ければ良いのか、加減が判りません。取り敢えず、大きめのライン部分に絞って行いました。

更にこの後、機体下面にはインストの指定色に手持の塗料で最も近似なクレオスのエアスペリオリティブルーを乗せました。
そして、機体上面には冬期迷彩の白を乗せました。
下地色のグリーンとぶつからない様に、白系でもグリーン味が入っているクレオスのキャラクターホワイトを、薄いグレーを加えてあまり白っぽくなり過ぎないように調色したのですが、今となってはもうちょっと白方面に振っても良かったかなあ、と思っています。

そしてデカールを貼り、スジやリベットに合わせて切込みや穴を開けて、乾燥後にガイヤのつや消しクリアで全体をコート。
機首のエキゾーストをマスキング塗分けし、脚等の細部のパーツも接着。

タミヤエナメルのスモークとジャーマングレーを混ぜて、エナメルシンナーでびしゃびしゃにして、汚しとスミ入れを兼ねたウォッシング。
エキゾースト周りや脚周りには、スモークとクリアオレンジを混ぜたウォッシングで油汚れを表現。
そして、エキゾーストや銃口周りに黒のパステルを鉄ヤスリで削った粉を叩き付けて、すす汚れの表現。
仕上げにエナメルホワイトで、エッジ立った部分中心にドライブラシ。

最後にメタルックを使ったキャノピーのマスキングを剥がし、今度は次男坊の髪の毛を使ったアンテナ線を張って、完成〜。



Ilyushin IL2

Ilyushin IL2

Ilyushin IL2

このキット、パーツの合わせについては加工や工夫が必要な箇所多数ですが、スジ彫りは繊細だし、プロポーションも良いし、何より佇まいに雰囲気があってカッコイイです。
自分にとって飛行機模型製作の新鮮さもあって、楽しく進める事ができました。
影付けや汚しについては過不足具合さえも判らないまま、となってしまいましたが、今回改めて手順の把握と実践を行って、これは今後、車(特に内装やシャシ部分)の塗装工程にも活かせるのでは、と感じています。

そういう事で、沼津被害からの復興状況、横浜は秋のJMCに向けての一歩を踏み出しました。
他の地の皆さんも頑張っておくんなまし〜!!

2012年6月13日水曜日

Ilyushin Il-2 No.2 組立て

IL-2、工作をせっせと進めております。

まずは、加工と塗装済みのコクピットを埋め込んで胴体を接着。
俺が悪いのか、コイツが悪いのか、合わせ目の隙間ガバガバ。
時間優先で黒瞬着で埋めて、ペーパーで均します。

機首周りのエアダム各所、開口されていない箇所は開口、開口されている箇所は、断面の肉厚を所謂「うすうす攻撃」でシャープさを強調。
写真で見える以外にも、胴体下の開口部も「うすうす攻撃」実施済み。

エンジンエキゾースト部分も開口。
主翼の銃装備部分は真鍮棒と真鍮パイプに置き換え。

 垂直尾翼の錘、気が付いたらキットのパーツがもげて無くなっていたので、真鍮棒と黒瞬着で加工して再現。

主翼の脚パーツ、2分割のパーツ構成となっているが、接着ダボが浅く強度的に不安だった事、また主翼下の脚格納部分との接着ポイントも曖昧で同じく強度的に疑問だった事より、パーツのダボを切り取り、真鍮棒による差し込み固定に置き換え。

強度面での不安はこれで解消。
調子にのって脚収納構造、及び蓋の開閉構造も再現してやろうかと思ったが、きりが無いので止める事とした。

以上、加工、組立の工程はほぼ完了。
この後は、いよいよ塗装工程に入ります。

ではまた。

2012年6月6日水曜日

Ilyushin Il-2 No.1 沼津縁側爆弾被害者(笑)の会

以下、沼津縁側爆弾被害者(笑)の会 被害者報告BBSより抜粋

模型愛好家の祭典、静岡ホビーショーの開催時期直前から前触れも無く突如始まった沼津からの無差別爆撃、これまでにも全国各地から甚大な被害の報告が相次いでいます。
そのうち東京多摩市に着弾した一発は、凄まじい破壊力により周辺地域にまで二次災害が及んでいる様ですが、なんと約35km離れた横浜市にまで跳弾による被害の報告が入ってきました。
写真は跳弾の威力を物語る、ハセのVWピックアップトラックと、TOKOのIL2、そして最初の着弾地のものと思わしき、ペンゾオイルのTシャツであります。


この跳弾被害により横浜市のL氏宅には煙草ガス臭が充満、L氏親子は呼吸困難と激しい目眩と頭痛を訴え、居間の全窓を開放する事体となりました。
この時の状況について、L氏は、
「最初は靴の梱包箱だったんです。ところがその蓋を開けてみると中には黄ばんだ色の箱が二つと白い布切れが見え、途端に激しい煙草臭が居間に充満しだし、部屋にいた家族が『くさい!』と叫び激しく咳き込みだしました。慌てて窓を開けて換気をしましたが、ほんとに凄い臭いでした。しかも箱を触るとなにやらベタつくんですよ、どうやらあれは染み付いたヤニだったんでしょうね。」
と、当時の様子を怯えた表情で語ってくれました。現在は激しい煙草臭を出す箱はL氏の自動車模型倉庫、ペンゾイルTシャツは衣装ダンスの中にて保管されているそうですが、臭いを完全に除去するには、2個の箱のうち少なくとも1個は組立てた上で今年の秋に行われるJMCに展示する必要があるとの事です。この事についてL氏は、
「そうですね・・・・、まずはより臭いが染み付いているIL2を対処したいと思います。北海道出身だけに露すけモノには因縁を感じますからね。ただ実機の事も組立て方も殆ど判らないのですが、それは一から勉強するしかないでしょうね・・・・」


と、ネットで検索したIL2の冬期迷彩仕様の写真をEvernoteでiPhoneと共有閲覧設定しながら、しみじみと語ってたのでした。

全国のB!Mメンバーと結託して、秋のJMCに復興祭を行うべく、今回ワタクシも露すけ戦闘機を処理する事となりました。
とはいえ、ひこーき全くわかりましぇん、だけに、ここで身の程知らずなイイ格好しぃは控えて、それこそストレート・フロム・ザ・ボックスで夏が来る前には確実に処理を終えたいと思います。

まずは、飛行機製作手順の基本、コクピットの塗装と組立。
うう・・・・
キットのインパネパーツが、モールドもデカールもなあんも無しのツルツル状態であったのが、あまりに不憫で、思わずネットで拾った適応エッチングパーツの画像を使って自作デカールを貼付けてしまった。
ついでにシート左横の操作機器部に虫ピンでレバーを追加したり、
シートには鉛板でシートベルトを作ったり・・・・
いかん、余計な色気は控えよう。

そして、このコクピットを組み込んで、胴体の張合わせ接着。
結構、合わせ目に隙間が多数。
この合わせ目の隙間を如何に自然に仕上げるかが、キモに思える。
接着剤の乾燥を十分に待って、イザ、早くも最大の難所へ。

では次回。


2012年6月3日日曜日

FORD Mustang Concept Ⅱ No.3 Hinges

月が変りましたが、先月は静岡ホビーショーがありました。
この時の模様は既に各所にて詳細なレポートが紹介されていますので、人混みの多さに参って休憩室でサボっていたが故に見逃していた作品、お話できなかった作者さん多数、という実に心残り一杯な自分からは会の報告は控えさせて頂き、代わりに他の皆さんのレポートをご参照下さい、という、何とも無責任な報告となりますが、まあ、噂のBitchに載ってきたゼ、という写真一枚でご勘弁下さいなまし。
秋の横浜で胸を熱く焦がして待っていな、
ふふふふふ・・・・・




で、ムスタング・コンセプトⅡですが、
最初プラ材主体で作ったヒンジですが、開閉を繰返すうちに強度面の脆さが気になり出し、結局真鍮素材で作り直す事にしました。
 これはトランクフードのヒンジ。

半田付け作業にはどうにも苦手意識があり、できれば半田作業無しで仕上げたかったのですが、やはりプラ材では後々苦労するだろうし、どうせ塗装前だから失敗してもリカバリーは容易、という事でちょっと頑張ってみました。
トランクフード側に脱着可能なハメ込み口を作ってみましたよ、の図。

ドアのヒンジも作り直し。
ボディ内側への接着ベース含めて全て真鍮素材で作り直し。
当初の物よりかなりしっかりしたヒンジが出来上がりました。

そして最大の難関、ボンネットフードヒンジ。
おそらくコンセプト2の細部構造は、Ealy65と同じと思われ、ボンネットフードヒンジも同様と考えます。
であれば、実車のヒンジは下写真の様になっているはずです。
コイツは、開状態でもフック無しで自立できる構造となっています。
しかし、なにがどういう構造で開閉できるのか写真やWebで検索してもサッパリ判らない。

で、あれば写真をたよりに適当にモデルを作ってみよう!
という事で、発砲スチロールのベースに、厚紙で作ったステーを、軸は爪楊枝で代替えして、見よう見まねで作成。
これが閉状態。

これが開状態。

このモデルを何度もフードの開閉動作をさせているうちに何となく構造とかポイントが判った様な気がしたので、熱が醒めないうちに真鍮材を使って改めて自作。
軸の半田付けが汚いですが、これは技量の限界、という事で勘弁願いたしと・・・

コイツをシャーシに仮止めして、ボンネットフードと瞬着で仮接着して、
 閉状態。

開状態。

うむ、まあイイんじゃないでしょうか?
ボンネットフードは開状態でしっかり自立できている様です。
本当なら、フードは所謂内開き状態ではなく、ボディ上面より持ち上がる状態となるのですが、今回はそこまで追い込められませんでした。
まあ、兎も角実車っぽいヒンジ構造で少なくとも純粋な開閉機構は再現できたのだから、これはこれでヨシとします。

っつー事でフル開閉状態の再確認。
うむ、苦労した甲斐があり、満足な眺めじゃ。
それにしてもヒンジの自作は慣れないだけに異様に疲れた。
ここでリフレッシュの意味も込めて、コンセプト2は一旦お休みとして、ちょっと変ったモノに手を出すとしよう。


っつー事で、マスタング・コンセプト2、また何時か。